いろいろ

 

 このように「おびえた犬」は見たことがない。これが、妻と私が動物愛護センターを訪れた折に、ともに心に深く焼き付けた印象だった。この「警太」と呼ばれる犬は、かなり大きな図体だし、もとよりもらって帰る気持ちや自信など到底なかった。柴犬程度の犬を保護された場合は「ぜひともヨロシク」と言い残して辞した。

 それから数日もしない時だった。動物愛護センターから「警太に感心をお持ちのようでしたが」との電話があった。妻も、警太を何とか幸せにできたら、と思ったようだ。1つの条件を付けて、1週間のトライアル飼育に挑戦することになった。その条件とは、警太の精神衛生面から、わが家の環境が適切か否かを見定めてもらえる人にも「ご一緒願いたい」だった。

 室内好みの犬もいるだろうし、広々とした草原好みの犬もいることだろう。犬小屋も、金太が棲んでいた小屋と、ケンを棲まわせるために買い求めた小屋がある。前者は警太には小さすぎる。後者は、サイズは充分だが、母屋の北向きの玄関脇の窪んだ木陰に据え、「夏場の館」と呼び、ケンの後の犬が夏場に使ってきた。そのありようも打ち合せたい。

 センターの人たちは4人連れで訪ねて下さった。もちろん、私たち夫婦を動物愛護センターに案内ねがった元アイトワ塾生・柴山さんにも声をかけてあり、立ち会ってもらえた。

 皆さんに夏の館を見てもらい「大きさとしては、これが適切ではないか」と語り合い始めるまでもなく、警太は勝手に飛び込んでしまった。飛び込んで座り込み、息を殺して外の様子をうかがっている。閉所が苦にならないらしい。

 ともかく1週間、うまく行けば期間延長しながら「預らせてください」となった。

 警太は、警察から届けられ、センターで保護し始めた犬であった。4歳から7歳程度の雄犬という他は分からない。警太という名前もセンターで与えたもので、何ら過去の履歴は分らない。名前を「ハッピー」に「変えてもらってよい」と許された。

 警太は、誰かれとなく人を恐がり、そばでしゃがみ込む人があると縮み上がり、ブルブルと振るいだす犬だが、ここなら「庭の中だけで散歩ができそうだし」、警太にとっては幸せな環境であろう、と見てもらえた。問題は、万一首輪が抜け、逃がした場合だった。捕まえようがないだろう、ということになり、後日「ハーネス」を届けてもらうことになった。

 この間も、警太は小屋の中でチョコンと座り、息を凝らして振るえていた。ジーッと外の様子を見つめているが、誰とも目を合わそうとしない。

 夕刻、妻が、警太の好物と聞かされた蒸した鶏肉を与え、「私の手から食べた」と喜んだ。餌をボールに入れて小屋の中に入れておくと、いつの間にか食べていた。閉塞感にさいなまれないように、と扉を閉めず、一夜を過ごさせることになった。それが最初の問題を生じさせた。

 夜の間に、シカが内庭まで侵入したようだ。翌朝、警太はそばの植え込みに鎖を絡ませ、縮こまっていた。なぜか小屋から飛び出して慌てたようだ。小屋の中で息をひそめておればよさそうだし、「ワン」とひと声上げておればシカの方が慌てふためいて逃げ出したはずだが、警太は。

 昼間は、陽が当たらない夏の館から出すことにした。中庭を挟んで反対側にあたる、私たちの家の南向きのテラスで過ごさせるわけだ。鎖を引かずとも、警太は私の後に従い、居宅に近づくとそそくさとテラスにあるベンチの下に飛び込み、座り込んでしまった。妻が、ベンチの下の隙間に、緑色の毛布を折りたたんで敷くと、次に見た時は、毛布の上でジーットしていた。

 かくして昼間と、夜の居場所は定まり、この間の移動と、散歩に連れ出した時を除き、警太はジーっとベンチの下と、夏の館で座り続けて過ごすことになった。散歩は、朝夕2度庭内に連れ出した。妻も私とは別に、日に2度散歩をさせた。小便とウンチをする場所も定まった。

 2度目の問題は、2日後に胴体をつつむハーネスを届けてもらった時に生じた。2人のプロが、どうしてもはめられなかった。これ以上強行すると、性格をより悪化させかねない、となった。日を置いて、気を落ち着かせてから、その時は、麻酔の使用もやむなしでは、と相談した。

 その後、問題が2度生じた。1度は妻が、慌てた警太に唐突に引っぱられ、転んだことだ。警太は散歩をする人の顔色を伺いながら行動する犬だが、頑固な力で抵抗することがある。時として「このようなことで慌てるのか」と私も驚かされた。横に渡した高さ20p程の(進入禁止の意味の)竹を、飛び超えるだけで正気を失い、勝手な方向にダっと引っ張った。私は2度バランスを崩しかけたが、転ばずに済んだ。

 5日目から、警太は勝手にベンチの下から出て、テラスをうろつき始めた。だから私は、警太が近づけば抱きしめたいと願い、ベンチに陣取り、待ち構えたがらない。

 かくしてセンターの人が、ハーネスを持参してくださる頃になった。折り良く、ありがたい人が訪ねて下さった。警太をトライアル飼育し始めたことを聞きつけた妻の元生徒さんが、「見させてほしい」といって尋ねてくださった。獣医の奥さんで、ケンや金太など歴代の犬が世話になっており、私も面識がある。そのご主人を私は獣医の鏡と見てとても敬愛している。犬の立場を第1に見据え、時として飼い主は叱られかねず、「怖い先生」と敬遠するムキもあるが、私には相談しやすい先生だ。

 ありがたいことに翌日、今度はご夫妻で訪ねてくださった。警太の体をよく観察すると、耳などに擦過傷の跡が幾つもある。怯えは尋常ではなく、簡単には取り除けないだろう。信頼する獣医の見立ても、これ以上のことは何もわからない、だった。

 妻とさまざまな相談をした。ケンで体験した苦心も思い出した。いつもケンも寝そべっていたので、16歳ごろから後ろ脚が立たなくなった。「警太」も同様の恐れがある。その世話が数年後の私たちには出来るのだろうか。万一の時は、義妹の娘に引受人を頼んであるが、出来ることなら介護などは引き受けさせたくない。

 やむなく、センターに相談の電話を入れ、すぐに事情を飲み込んでもらえた。結局、「ハッピー」という名前を覚えさせる前に「警太」に戻し、丁度1週間目に引き取ってもらった。

 

 

 


 

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