固有名詞付きの木々
 

 避雷針の(役割を担わせようとしている)スギ、夜久野(から取り寄せた)ウルシ、大内さん(恩人)のローリエ、ネンネコ(姿で花蓮を背負った仁美さんが掘り出した)シロモジなど、さまざまな名称の木がある。

 アーモンドくずれのハナモモとは、アーモンドの木は枯れたが、その台木が芽を吹き、それが願ってもないハナモモだった。クヌギまがいのカシワとは、60年ほど前にクヌギの苗木として買い求めた50本の中に、2本のカシワが混じっていて、その1本が今に残る。

 智照尼モミジとは、母が親しかった祇王寺の尼さんから、私がもらった数本の苗木のうちの2本だった。このたび、その1本を切り取り、幾つもの玉切りにした。もう1本は、アイトワのシンボル的存在になっており、このたびはいつになく丁寧に徒長枝を切り取る剪定をした

 そもそも、智照尼モミジは、入学祝をしてもらった人へのお返しにしたくて手に入れたものだ。東京に持参し、その庭に植えるなどした残りの2本をこの庭で育てた。今あるわが家のモミジのほとんどは、この2本の智照尼モミジの子や孫やひ孫で、今や成木だけで総計40本ほどが育っている。

 ためらい傷のハナモモとは、逆に東京から妻が持ち帰った木だ。妻の展示会場に、花屋さんが盆栽を持ち込み、切り取って盛花に用いようとして鋸を入れ始めた。途中で妻がストップをかけ、持ち帰って「夫への土産にします」。その声に沿って、鋸を止め、鉢のまま飾り、今や背たけ3m近くになっている

 この他に、退職記念に頂いた樹や、誕生祝いの樹、あるいは企業の記念樹もある。

 これまでに、この庭におよそ3000本近くの苗木を植えた。まず、この「生き方を」と見定めた二十歳の頃から25歳ごろまでに、クヌギ50本、ヒノキとスギ各100本、果樹100本近く(カキ10本、クリ10本、スモモ、イチジク、ブドウ、モモ各2本、柑橘類は2回失敗したので15本×3=15本、グミ、ユズ、ザクロなど各1本)、あるいはサクラ15本、松の15本ほどは自然生えを移植など、数百本の苗木を植えた。

 その後、多くを失い、今は(20年ほど前から)200種1000本の木が育っている、と自称している。しかもその200種1000本の中の3割ほどは自生で、トリの糞から増えたヤマザクラやモチ、イノシシの糞から増えたカシやツバキ、あるいは風の助けも得て飛ばされてきたフジなどが占める。

 クヌギの50本は、燃料やシイタケのホタギなどとして間伐し、今は15本になった。スギは生け垣だし、ヒノキは建材用だったから、自然淘汰で減っただけで、半数が残っている。ザクラは1本、マツは2本、柑橘類は2本を残すのみだ。マツは松枯れ。ザクラは庭の設計変更で伐採。柑橘類は植える場所と冬越しの失敗で2度全滅させ、3回目の植樹の15本分が根付いたが、今はキンカンとダイダイの2本しか残っていない。アマナツとコユズはこのたび枯れた。

 「さすがはプロ」と感心している。柑橘類の世界では高名な鶴田(農園)夫妻を、2年ほど前に迎えたが、翌朝のことだ。「手当てが必要」とおっしる2本の木があった。ナイフで切開し始めてくださったが、手を止め、「誤診かな」と、中断。翌年は共に大豊作。トゲだらけの木の小ユズの方は、バケツ2杯分の実を花蓮の姉・結が見事に摘み取った。案の定、その木も枯れてしまい、この度切り取った。

 鶴田夫妻が木の姿から「病気」と見立てた直観が正しかったわけだ。

 クリはアメリカシロヒトリガが異常繁殖した時にすべて切り取った。垣のスギと林をなすヒノキなどには固有名詞がない。樹齢50年以上で、夫婦間で共有する名のある木は10数本ほどだ。

 この度、6本のツゲ、2本のカナメ、そして2本の富裕ミカンの苗木を植えた。加えて、2本のブラッドミカンと、ブドウサンショの苗木をもらったので、植える。


  

徒長枝を切り取る剪定をした
 
 

 

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