ある願いを込めて

 

 ある勉強会が出会いの機会になり、誠実にモノ作りに、それも食べ物作りに勤しんでいる親しい人がいる。

 彼は自己紹介で、集団就職で熊本からでて来て、化繊メーカーの工場で働き始めた、と語り始めた。聞き耳を立てたのは次の発言だった。工場食は美味しくなかった。その代金を活かせば、もっとおいしい弁当を自分で造ることができると思い、弁当持参の通勤に代えた、だった。そして今は縁あって、結婚した相手の家業、米屋を引き継ぎ、米屋では生計が成り立たないので佃煮屋を始めた、とつないだ。なぜかその時から、私はこの人に惹かれ、付き合うようになり、27年になる。

 真面目な人だからと言って、商売がうまく行くとは限らない。むしろ歯がゆいことの方が多い。この人はその歯がゆい人の典型例と言ってよい。だが。付き合いは続いた。私の多くの助言に逆らい、手を付けたり広げたりしてシクジリ、その都度反省してもらうはめになった。だが、なぜか飽きずに付き合いが続いた。それは固くなに誠実な彼の性格に惹かれてのことだろう。

 長男の結婚式にも招かれた。息子は、いわゆる、額に汗し、醤油やみりんで手を汚す仕事を引きつかず、サラリーマンになっていた。その伴侶に選んだ女性は、職場の花であり、憧れの的であったようだ。私は、これでもう佃煮屋は一代限り、と諦めてガッカリした。

 それから幾年かが過ぎた。腰痛と言う病気持ちであった友人は加齢とともに、仕事がつらそうに思われ始めて。それ以上に、友人の働き者の奥さんは、もっと体に負担をかけていると思われてならなかった。この親不孝者メ、とその息子を叱りたい気持ちに駆られ始めた。

 それから間なしに、友人から「息子が帰ってきて、家業についてくれる」と、聞かされた。「だが嫁は、生計を支えるために働き続ける」という。

 その後、3つのことが美味い具合に重なった、と私は見た。息子が、独特の佃につくりの腕を磨き、少しずつ心に自信をみなぎらせ始めた。その嫁が身ごもった。そして友人夫婦の白髪が増えた。このタイミングで、「嫁も家業に携わることになった」と友人に知らされた。

 わが家に、息子が嫁を連れて時々父親に代わって挨拶に来てもらえるようになった。そのたびに、嫁が「生業の嫁」にふさわしい心構えと、心がけを身に着けてゆく様子がうかがえた。

 ここ数年のことだが、私は次第に、最後の一口として、うまい漬物なり、うまし佃煮なりを選び、クチを引き締め、至福の一時を味わうようになっている。これは身勝手な言い分かもしれないが、若くして欧米出張を命じられ、食べ物で苦労した体験が語られせることだが、日本で和食の魅力をもっと掘り下げ直し、見直さなければいけない、と思っている。それが世界のためでもある、と思う。

 そんなこんなを考えているうちに、良いことを思いついた。この友人の嫁に、私はある償いをする必要があったことに気付かされた。それが同時に、我が身のためでもあり、私の願いのためにもなることを思いついた。私の願いとは、日本食の知恵を世界に広めることだ。

 実は、息子夫婦の結婚式に呼ばれたときに、息子はこの嫁に惹かれて家業には戻るまいと見て、私はガッカリしたが、それを思い出したからだ。償う必要がる。

 その嫁が、寡黙で華奢な体なのに、今ではこの家族のココロの大黒柱のように見える。この嫁の誠実さと頑張りに私に何か応えられることがあるのではないか、と考えた。それを妻と相談したところ、意見の一致を見た。それが、アイトワの一角で、大勢の人たちに、友人が生み出した佃煮の試食をしてもらえるようにしよう、と言うアイデアだった。

 その畳1枚強の空間に、妻が「恵方屋台」と名付けた。
 
 

 


 

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