様々なことを学んだ小旅行

 

 奥さんが東ドイツの出身ということもあってか、ドイツの何たるかを大つかみ出来たような気分になった。東は東で、懐かしくなることが多々あったようだ。

 何といってもドイツが羨ましかったことは、国家が国民に無償配布するという一冊のハンドブックを手にしたときのことだ。連邦憲法法規集だ、という。ドイツは合衆国だからそれだけに、加えてナチズムに席巻された歴史があっただけに、それだけ強烈に、国家は過去との決別を心がけているのだろう。連邦国としての憲法を国民に大切にさせるのだろう。改定の度に、あらたな一冊が無償配布され、国民に「これさえきちんと守って生きておれば、国民は国家に無茶なことをせずに済む」との意識を、国民のココロとカラダに血肉のごとくに流させたいのだろう。

 その意識は、私達は民主主義国に生きている。連邦国家に生きている。そして社会国家に生きている。との3本柱だ。ドイツはこの3本柱に、環境の1本を加え、4本柱にしようとしたことがある。現実は、20条のAとして環境法をいれた。

 余談だが、環境法を入れるための憲法改正なら、私も改正賛成だ。

 それはともかく、ドイツでは、この3本柱プラス20条Aを、国民の血肉にとの願いが、さまざまな努力が試みられている。だから、ナチスが犯した国家犯罪を執拗なまでにあからさまにし、国民に知らせ、再び同じような間違いを犯さないように意識させ、自信と誇りと、それらが育む愛国心を、国際的に普遍する愛国心を抱きあう国にしたいのだろう。

 加えて、これは年に6冊、政治教育機関が国民に選ばせ、無償で提供する出版物だ、と聞いた本もあった。自由と民主主義を護るための出版物が次々と生み出されるが、国民は6冊までなら無調でもらえる制度がある、らしい。その一冊の表紙に触れ、とても興味を惹かれてしまった。

 今日の国旗のありようや、なぜ国歌は3番の歌詞を歌わなくなったのかなど、いろんな興味がわき、それなりの得心ができたような気分にされた。

 そもそもドイツには連邦憲法裁判所と言う独立性が高い機関があり、国民の信頼を一心に集めている。国民が主権者であり、国家を支えているのは国民だとの自負心を行きわたらせようとしている。

 もちろん、どのような組織にも暗部もあれば恥部や弱味もあるものだ。問題は、国家と言う組織体を、どのようにより健康体として育てるか、だろう。国家を人体とすれば、国民は細胞だ。その細胞がより健康な臓器などをつくり、人体をなさせるか、が課題だ。その意味でいえば、今のわが国はとても危険な状態ではないか、と心配になった。

 国民が、真に安堵し、ココロとカラダを寄せ得る臓器に当たる基幹は日本にあるのだろうか。こんなことを考えながらニュータウンを後にした。そして温泉にたどり着き、2時間も温泉に浸った。ジョッキ2杯のビールは内臓にしみわたった。仕上げは、市民ボランティアが運営するオープンカフェでの一杯のコーヒーだったが、付録があった。この100年にわたる学校給食を、あらかたのイメージとして掴めそうな展示だった。

 ちなみに、この1泊2日では、話題が広がり、京大事件も遡上にあがった。後の滝川事件を起こした人が、先に起こした事件だ。今から思えば、不思議な事件だし、その是非は誰しも語れそうにない。しかし分かりやすい事件だった。滝川先生は、女性だけに姦通罪を適用しているのはオカシイ、と言い出した。廃止すべきだ、と言った。廃止しないなら、男にも適用すべきだ、と付け加えた。それが時の軍部に睨まれることになった、と聞いている。

 要は、時代は変る、と言うことだし、落ち着くべきところに落ち着く、と言うことだ。

 問題は、この温泉の付属食堂が、中年女性のたまり場のようになっていたことだ。「この」と、注文した料理を眺めながら、多くの夫はこの3分の1か、あるいはそれ以下の昼食代で済ませている頃だろうと考えてしまった。問題は中年女性客でも、その夫たちでもない。日本だ。

 その昼食で腹を満たした夫たちは、午後も国家が放置している、ある種のトリックに悩まされているに違いない、と思ったことだ。現政権もそれに拍車をかけている。実は、かつては私は電通の「鬼十則」に憧れ、手帳に書き写し、心の励みにした。会社のために、国家のために、私は鬼になるゾ、と思っていた。問題はその後の社会の変化だ。当時は、企業は「終身雇用」や「年功賃金」を誇っていた。

 私は生きとし生けるものがすべていとおしくなった。
 


無償で提供する出版物
 


今日の国旗のありよう


なぜ国歌は3番の歌詞を歌わなくなったのか


ニュータウンを後にした


 


2時間も温泉に浸った

この100年にわたる学校給食
   
 


 

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