『考える人』から『思う人』へ

 

 世界中で今、大変なことが生じている、という。『考える人』をあきらめて、『思う人』へのシフトが始まっている、という。「その通りダ」と叫びかけた。

 かつて私は、『つぶす喜び』から『つくる喜び』へ、との提唱をしたことがある。それに比べると、次元が1つ変わるほど、社会は厳しい情勢に落されてしまったことになる。かた苦しい言い方だが、『考える』とは「理性で行動する」ことであり、「思う」とは「感情で動いてしまう」ことだろう。このままでは、今問題になっていることが、とても惨めな結果に結び付きかねない。「そこまで来たのか」が私の偽らざる受け止め方だ。

 つい1年ほど前は、世界の60人が35億人の下層人口の総資産と同等の資産を持っていると聞いて驚かされた。この1年ほどの間に、60人が8人になり、8人が下層人口35億人の総資産と同等の資産を持っているになった、と聞かされた。本当か嘘か、聞き間違いか、私には分からないが、貧富格差が広がることは見えていただけに、さもありなんと思った。だから、それから逃れる自衛策として、私は、『つぶす喜び』から『つくる喜び』への転向を、と提唱した。せめて、ココロだけでも豊になろう、ならばやがて浮かばれん、との提案だった。

 問題は、かつては『つくる喜び』の志向者の多くが、働き者の専業主婦や職人のごとくに、多くが中間層を占めていたことだ。その中間層の多くが、『つくる喜び』を放棄し、2層化を推し進めてきた。それが貧富格差の拡大に大いに悪しき貢献をした。

 もう1つの問題は、豊かになった人たちだ。その多くは『つくる喜び』などくそ喰らえ、だろう。マネービジネスとか、それにも近い仕掛けの敷設で稼いでいる。本来は、ここにこそ課税策を施さなくてはならないのに、その力がある人たちは、そのインチキにも近いあり方を見て見ぬふりをしている。だから、そうした人たちは政治献金に努めたくなるのだろう。

 それがいたたまれずに、スノーデンは命を懸けたのだろうし、許せないと思った人たちがパナマ文書をばらまいたのだろう。それは決して個人攻撃ではなかったはずだ。生きとし生けるものの救済策に結び付く動きであった、と思う。

 なにせ、私達文明国人の生き方が、近年露わになった難民問題の源泉だ、と見なくてはならない。その生き方を放置し、地球上のすべての人が真似ようとしたら、地球はすぐにパンクする。生きとし生けるものが乗っている船が沈んでしまう。ならばどうするか。

 それを突き詰めてゆけば、『つぶす喜び』から『つくる喜び』へのシフトしかない、と分かる。問題は今、それすら考えるのがめんどうなほど、『考える人』から『思う人』へのシフトが始っているのかもしれない。「平和ボケの人」も、それが生み出した対極にある人も、『考える人』をやめて、『思う人』へとシフトしているのかもしれない。

 
 

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