会話はおのずと

 

 今年になって、コジュケイの鳴き声を聞いたのは2度目だ。「チョットコイ、チョットコイ」とけたたましいから間違いようがない。また、庭仕事中に、物音が気になり、その姿をさぐってゆくうちに、これはコジュケイに違いない、と思ったことが1度ある。これは久しぶりのことで、もちろん妻に報告済みだ。

 かつては、とりわけ秋口は、コジュケイの鳴き声で目覚めるのが日課だった。数羽のひな鳥を引き連れたコジュケイの母鳥が、素早くひな鳥を誘いながら庭で餌をあさっていた。決してなついてはくれなかったが、恐れる様子もなく、庭を闊闊歩していた。

 その後、いつしかコジュケイの姿やけたたましい鳴き声に気付かなくなった。2人がそうと気付き、「言われてみれば」とそれを確認しあった時は、すでに来なくなって2〜3年が過ぎ去っていたように思う。その間の変化と言えば、裏山との間のお宅が庭を整備し、相当の農薬を用いたことしか思い当たらない。それが原因と思い込み、他のわけをあまり考えていない。しかし、今にして思えば、その間に野良猫を始め、イタチ、アナグマ、あるいはハクビシンなどの野生動物に悩まされていたわけだ。

 もちろん、イノシシはもとより、シカの侵入までが始まり、ついにはサルにも悩まされるようになっていた。

 この度、久しぶりに、コジュケイが返ってきたことを知り、妻と喜びあっただけでなく「そう言えば」などとわが身を反省するにいたったわけだ。この間に私は、獣害防除ネットを畑の周りに張り巡らせた。さらに、加齢対策と称し、庭をかなり改造していた。その第一は。庭の茂みを減らしていたことだ。

 減らした茂みは二通りある。1つは下草狩りが進んだこと。他の1つは樹木の刈り込みが進んだことだ。とりわけ、数本のツバキに大幅に手を入れ、枝を透かし、見通しを良くしたが、思えばこれらのツバキの茂みがキジバトがよく営巣していた。

 人それぞれのサンクチュアリが求められるように、野生動物にはそれ以上の配慮が必要であるに決まっている。そのさまざまな野生動植物のサンクチュアリ自体が、私達人間のココロやカラダの癒しの湯、と改めて思い知らされた。

 19世紀の英雄たちの多くは、この大泥棒だったわけだ。それを英雄と見て来た私たちは、それが生きとし生けるものすべてを巻き込んだ緩慢なる自殺行為ときづいていなかったことになる。オメデタイことだ。

 今年もヘビを庭で幾度か目にした。マムシも見かけた。まだこの一帯では間に合うだろう。トンビもまだやってくる。

 
   
 

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