権利

 

 妻は今も、私を厨房に立たせない。当初は、母が(父や私など)男を厨房には立たせなかったから、それに倣っているのだろう、と思っていた。だが、今ではそれほど簡単で、生易しい問題ではない、と視るようになっている。

 実はこの度、『日本の建国と阿波忌部族』を読み進むうちに、膝を打つ思いに駆られた。その第一は「権利」と「義務」の概念が、私の想いとピッタリと一致したからだ。

 忌部族は、いわば歴史からかき消された一族、と言ってよい。だが、脈々と生き残った。それは大昔に、神代の時代に、1つの立派な役割を得たことに始まる、と私も見た。それは、天皇の代が替わる折の儀式の1つに関わる役割である。その役割を「権利」として営々と「見事に」かつ「欠かさず」保ち続けてきたから、と言ってよいだろう。

 「権利」と「義務」は裏腹のようなところもあるが、私はワンセットのように見ている。忌部族を例にすれば、その役割を彼らは厳然たる歴史的「権利」のごとくに位置付けたはずだ。だからその真の自尊心が「見事に」かつ「欠かさず」に執り行うことによって、つまり「義務」を果たすことによって存在価値と存在意義を認めさせ続けたのだろう。

 私は65歳で、それまでの勤め仕事に終止符を打ち、いわば隠居した。収入を断っても、自由が利く時間を増やしたかった。それは「遊」の時間の確保が願いである。完全な「自由」の下に、エコライフガーデンの創出という「創造」にいそしむ時間である。だから、その一環として、妻に我流のマッサージを施している。それも私は「権利」のごとくに思っている。

 妻も、私とやや似たところがあり、自分の役割を「義務」と受け止めず、「権利」と見る傾向がある。元は私の配下で、デザイナーとして働いていた。その時に、その片鱗を見た。

 会社での昼食時。彼女は妙な発言をして厨房に走った。長時間にわたる会議中であった。来客もあった。だから昼食を会議室にとったのだが、お茶を用意する要があった。私は事務女子に頼もうとしたが、彼女が遮った。いわゆるお茶くみに、専門職は関わらず、事務女子の仕事のようになっていたが、彼女は「私も女です」と言って、厨房に走った。

 それはともかく、会議には、彼女よりはるかに給料が低い男子社員が幾名も参加していた。だが、誰一人として彼女にとってかわろうとはしなかった。残念に思った。

 なぜなら、私は新入社員の時に、実はお茶くみをしている。入社した春から、伊藤忠では、来客へのお茶出しと、秘書が上司へのお茶くみを除き、お茶くみから女子社員は解放されていた。そうと知って、私は「シメタ」と喜んだ、一番引き受けさせてもらえる仕事がない私にも「出番がある」と見て安堵したからだ。

 数日目だった、課長秘書が、課長に出すお茶のついでに私のお茶くみを手伝った。やがて、すべての女子社員が参画し、その後、伊藤忠ではお茶くみシステムは旧に復している。

 そうしたおかげだろうか、こうして私は妻と縁が出来て、今も所帯を保ち、マッサージをし続けられる。

 問題はこの数日間のことだ。妻が早起きして逗留者に簡単な、とはいえ弁当まで作り出したものだから、私は「ん?」と思った。私には「権利」のごとく位置付けているマッサージをする時間がとれなくなったからだ。案の定、長年にわたって妻に強いたプレッシャーの解除に携わることができなかった。残念だった。逆に、妻はその間も、「権利」のごとく私へのマッサージを行使した。それは、やすむ前に私の足にほどこすマッサージだ。妻は一足先に寝ていても、私がベッドに入ると起き出し、この「権利」を確実に行使した。これも残念だった。同時に、どうして逗留者が妻にとって代わり、亡き母のように「私に朝食ぐらいは引き受けさせてください」と言えなかったのか、残念だった。

 もちろん「引き受けなさい」と言えば、嬉々として引き受けたことだろう。だが、それでは意味がない。この生活空間は、ある人には極楽にもなれば、ある人には地獄にもなりかねない。「義務」を押し付けるようなことは避けたい。許された可能性の中から「権利」として掴み取れることを次々と増やし合い、なくてはならない存在になる事ではないか。そして自由と創造を掛け合わせ「遊」の時間にすることではないか。物的には貧しくとも、それが本当の豊かさだと思う。その豊かさが家族の根本ではないか。

 私は「この人には地獄になる」と見たが、妻はまだ「極楽になるかも」と見たいようだ。

 
 

 

 

 

inserted by FC2 system