佐野夫妻とあすかさん、そして私のカメラ
 

 30日は、餅つきとしめ縄を作る日でもあった。

 橋本宙八さんは、この臼を、いわきに入った時に、最初に作ったとか。いわきの山から切り出された「ヨグソミネバリ」の巨木(根元の切り)をもらい、エンジンソーも駆使して手造りした。この木は、イカがスルメになる関係ではないが、木材になると「ミズメ」と呼ばれる、と佐野さんに教わった。

 この30日は、大勢の仲間に甘えて、ともかく楽しく、たくさんの仕事をこなす1日になった。

 伴さんには、ワラ打ちとワラの整理をしてもらっただけでなく、清太を連れて2度も裏山まで、ウラジロ採りのために走ってもらえた。奥さんの葉子さんには、藍花と2人で、妻が取り残していたコケ庭の落ち葉を掃除してもらえた。

 この間に私は、4つのしめ縄をこしらえる8本のナワを編んでいる。

 餅つきグループのおかげで、妻と杵で餅つきが出来ただけでなく、餡入りの餅、キナ粉とダイコン下ろしの安倍川だけでなく、納豆を用いた餅もほうばれた。

 また、願っていた通りに、道行く人が、とりわけ欧米人が、どれだけ多く立ち止ったことか。そして、宙八さんたちが餅をつく姿を、どれだけ多く人がカメラに収めたことか。

 こうした作業の目を盗んで、私は要領よく庭仕事にも取り組んだ。

 25年ぶりに杵をふるったが、加齢を実感できたことも大きい。杵は、わが家の7掛け程度の重さだったが、加齢には勝てない、と思わせられた。とても重く感じたからだ。そして30年ほど昔の30日を思い出し、しばし妻と振り返ることもできた。健在だった両親と4人で、15臼もついていた頃の思い出だ。父が(コンクリートで手造りした)窯番、母が餅の丸め役で、妻が水とりだった。

 その日は、15臼をつき上げると私はすぐに、用意されていた床についた。そして正月3日まで寝込んでいる。妻が脇に挟ませた体温計は、なんと41度を示していた。そして2日までの3日間は記憶がない。さらに、意識が戻った3日には、自分が嫌になっている。

 いつもの暮れの30日なら、2臼目ぐらいから、まずジャンパーを、といった具合に薄着になっていたが、その日は逆だった。ドテラをまとい、マフラーまで首に巻いた。それでも寒かった。

 前夜からもち米をかしており、つき手は私1人だった。まだアイトワ塾は出来ておらず、「後藤さん、なんとか」と、電話をしたり、最寄りの「伴さん」に助けを求めたりするわけにはゆかなかった。1人で頑張り、そして倒れ、ついには自分が嫌に、と言うより、怖くなっている。

 それはともかく、このたびの30日は良かった。楽しかった。

 妻もよほど楽しかったようで、めったに欲しいものを口にしない人だが、「この釜を、わが家も手に入れましょう」と私に提案している。それは、宙八さん持参の薪の釜で、蒸篭(せいろ)を重ねてもち米を蒸していた。

 妻が有頂天になっていた証拠(緊急時の「炊き出しにも使える」などと言ったことを考え始めたりしていたもの)だから、私も相槌を打った。これもいけなかったようだ。

 宙八さんは「その窯」を、置いて帰って行った。まあいいだろう、365日後に、ここで同じように餅つきに使えるのではないか。

 初対面の白砂夫妻は、アイトワをよくご存じだった。2q程しかはなれていない所にお住まいで、その後、「亀山公園から常寂光寺、そして清滝に抜ける道は私の原風景です。アイトワのモミジを楽しみながら散策するのが秋の楽しみの一つでした」と言ったような知らせをいただいた。
 

 


 

 
 
 

 

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