深刻な気分
 

 なぜか人類の行く末が不安に思われた。このたび、温室にある大きな方の水槽のキンギョなど住人を一意的に宿替えさせ、大掃除をし直したが、なぜこのような掃除を繰り返さなければならないのか、と考え込まされた。もっとも、水替えした水は(鉢ものの水やりに生かしているから)無駄にはしていない。だから苦にせずに掃除を繰り返してきたが、2日後に住人を戻しながら、かつては「掃除などしない飼い方をしていたのに」と、過去を振り返ってしまった。

 月曜日。やむにやまれず、水を総入れ替えした。なぜなら、水槽のガラスに想定外のコケが付着したためだ。前回の掃除をした時に、「これで翌春まで掃除は不要であろう」と読んでいただけに、気落ちを伴う掃除になった。この小さな読み違いを振り返りながら、ついに今年は(久方振りに)渇水に悩まされることがない1年であった、と振り返っている。逆に、3年続きで50年に一度と言われる大雨に悩まされている。

 2日後に、宿替えさせていた住人(キンギョ4匹、フナ2匹、そしてドジョウ1匹)を元に戻しながら、この水槽のかつての生かし方を思い出し、懐かしく振り返ったわけだ。それは、水を(蒸発して減ると)補給するだけで、手入れをせずに済ませるやり方であった。

 実は、カフェテラスにも、もらい物のさらに大きな水槽(アイトワに設置した最初の水槽)がある。この水槽は妻たちが手入れをしてきたが、水替えにかなり手を取られてきた。特に夏場はすぐに水が緑色に濁ってしまい、バケツで8割ほど毎週のごとく汲み出している。もちろん、妻たちも、この水でカフェテラスの鉢植えに水やりをしているから無駄にはしていない。

 その苦労を見ていたので、2つ目の水槽を(異なる人から)頂いたときに、なんとか手間暇かけずに済ませたく思っている。そこで、深く考えることなしに、つまり直観に誘われるままに、「これなら手を取られずに済むだろう」と思われる処し方をした。それが、水を補給するだけで、餌やりはもとより手入れをせずに済ませていたかつてのやり方であった。

 温室の北東の角、日当たりがよくない位置に据え付け、底に土を入れて水草を植えた。そして水を張り、澄んだと見てから10数匹のメダカと幾個かの小さなタニシを棲まわせ、放置した。その後、2匹の小さなドジョウと数匹の小さな川エビを入れたことがあるが、これらはいつの間にか死滅したのだろう。いなくなっていた。

 水はいつも澄んでいた。常に10数匹のメダカが認められ、タニシは数を増やしていた。そのありようは、現在広縁に置いてある小さな水槽の状態にやや似ている。水草が茂りすぎると減らし、水が蒸発して減ると補充するだけで、いつも7〜8匹のメダカと小型のタニシが棲んでおり、水は澄んでいる。この水槽のサイズはとても小さいので、メダカに餌を与えてきた(1週間ほど餌をやらないことはある)が、もし完全に餌やりを断てばどうなるか、試してはいない。

 おそらく完全に断てば、かつて2番目に大きな水槽で生じたようなことが起こるだろう。つまり、次第にメダカの数を減らしながら、安定した数になるだろう。あるいは、最後の1匹になってしまい、いずれメダカは死に絶えてしまうことだろう。

 それはともかく、このたび私は、2番目に大きな水槽で「犯してはならない失策をしていたようだ」と気づかされている。それは、イトトンボの問題である。

 読み違いに基づく水槽の大掃除をしながら、なぜか人間のおぞましさを見たような思いがしたわけだが、その想いを突き詰めている過程でイトトンボ問題にたどり着いた。

 人間のおぞましさを見たような思いがしたが、それは人口問題だ、とすぐに分かった。宿替えさせていた住人を元に戻している時に、そうと気付かされた。なぜかキンギョとドジョウが、とりわけキンギョがとても大きくなっており、それらが先進国の人間のように見えたのだ。逆に、2匹のコブナ(はいつも姿を見せず、心配させられていたが)共に(生き残っており、とても元気であったが)少しも大きく育っておらず、なぜかそれが少数民族を連想させた。

 与えた餌に競ってパクつくキンギョを可愛げに思い、餌やりを忘れないように繰り返してきた私自身が、先進国人の典型かのように思われた。それが、やたら水質を悪化させ、身を滅ぼしかねない問題にまで結び付けなくなっているにことに気付かず、逆に繁栄ダ、やれ繁盛ダ、と喜んでいたのではないか、と心配になった。逆に、底の方で水草に隠れ、餌をとりに出てこないコブナが、なぜだか少数民族のように思われたわけだ。

 こんなことを考えているうちに、あることに気付かされた。イトトンボ問題だ。

 そういえばわが家の庭で「イトトンボが極端に減っていた」ことに気付かされた。「魔が差していた」との思いに駆られた。「根本を見失っていた」のではないか。

 水の確保と備蓄には、それが同時に蒸発や蒸散作用にともなう一帯の気温調節に役立つから、常に配慮してきた。しかし、それがボウフラを増やしかねない。だから金魚やメダカを飼って、などと考えているうちに、ダンダン目先のことにこだわるようになり、ついには肝心のことを見失いかけていたわけだ、と不安になってしまった。

 「ひょっとしたら、今年をもってこの庭では(イトトンボを)絶滅させたのではないか」と心配になった。今年はまだ一度しか見かけていない。「あの1匹は、あの1匹ではなかったか」と心配になった。

 実はこの夏に、水鉢を掃除していた折に1匹のヤゴを見かけたが、「あの1匹(イトトンボ)」は、それが羽化した1匹ではなかったか、との心配である。

 来年はもう一度、「この水槽の生かし方を考え直そう」「ひょっとしたら、まだ間に合うかもしれない」。イトトンボは生き延びており、「よみがえってくれるかもしれない」


 

水を総入れ替えした

もらい物のさらに大きな水槽

広縁に置いてある小さな水槽

 

 

 
 

 

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