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 偶然と自然の豊かさ 14/07/20

 今にも雨が降り出しそうな雲行きの下、当週はヒョッコリ柴先生が訪ねてくださることから始まりました。偶然とは面白いものだ、と思いました。2日後に、柴先生が(311後、間もない時に)引き合わせてくださった橋本宙八夫妻を(いわき市のマクロビアンに)訪ねることになっていたからです。また、先生の来訪理由を伺い、これも偶然の一致か、と興味津々にされています。

 先生と入れ違いのようにして、佛大生が訪ねてくれました。すでに雨が降り始めていましたから、澤崎リーダ―と早朝に電話で打ち合わせてあった通りの半日にしました。屋内でのレクチャーです。ここでもまた偶然が生じました。教材に用いた写真の中に(このルーチン化した来訪の)初代リーダーが2度も登場したのです。そこでその徳本さんに電話を入れ、5日後に迫ったスピーチ会場で(徳本さんの仕事場がある方面での開催でしたから)落ち合うことにしたのです。

 この日は、冨美男さんも迎える予定でしたが、日延べし、学生にも昼食の後(すでに雨は止んでいましたが)引き取ってもらいました。この日は、遠方の友人が立ち寄りたいと言っていましたし、夕刻から足かけ4日にわたって留守をする予定であったからです。つまり、私が留守をする間の庭仕事を、妻が手早く片づけられるようにしておきたかったのです。特に温室のルーチンワークを楽にする手はずと、傘をかざして庭を歩き易くするために、雨で垂れ下がりかねない木の枝を剪定しておくことでした。ちなみに、遠方からの友人は、第一号鶏インフルエンザ事件は京都で発生しましたが、それが縁で親交が始まっており、この度も深刻な相談事でした。

 旅は塾生3人と出掛け、とても有意義でした。何よりも原発事故の恐ろしさや根の深さを思い知らされました。富岡町や広野町では住民が分断されてゆく悔しさを、浜風商店街では放射能の不気味さを、久之浜では未だ手つかずの惨状を、そして湯元温泉では風評被害の怖さを、それぞれ思い知らされています。月曜日の昼食は「豚丼」でしたが、ふと錯覚しかけています。

 次いでいわき市に移動し、マクロビアンを訪ねました。まず宙也さンの運転で坊さんの家を訪れ、再会。ここでモーツアルトの『短くも美しく燃えて』に聞き入っています。その後、川内村まで足を延ばし、311の年も途切れずに続いた(2千人もの人がテントや食糧を持参して集う)催しがあり、8月の満月の時期に長年にわたって繰り広げられていたことを知りました。ここでも偶然を感じています。この催しの原点が、アイトワ塾が誕生した1988年であったからです。

 この旅は、帰途も有意義でした。福島市に立ち寄り、かつて感銘を受けた体験を再現したくて「民家園」に立ち寄れたのです。しかも予期せぬ成果まで手にすることができたようです。

 帰宅翌日の朝は格別でした。まる3日の留守の間に、庭の緑が想像以上に色鮮やかになっていたのです。かなりの雨が降ったようで、畑の緑が一段と色濃くなっており、2種のニンジンボクが茂って咲き誇こっていました。温室では第2次のマサンチェと第4次のキュウリの苗が育ち過ぎており、畑ではツルムラサキと第3次のインゲンマメがすでに支柱を登っていました。マクロビアンとは似て非なる庭を実感です。2時の来客を見送った後、庭に飛び出しました。第1次のキュウリの後を耕し直してマサンチェの苗を植え、第2次のダイコンの後を耕し直して第4次のキュウリの苗を植えたのです。その折に用いた腐葉土で、カブトムシの幼虫をたくさん見かけています。

 金曜日から1泊2日の丹後出張でした。スピーチを無事に済ませ、幾人もの人と旧交を温めました。その夜は(4年前に応援弁士を引き受けた)地方議員(再選されていた)と、翌日は徳本さんをはじめ多くの若者と楽しく語らえました。その上に、郷土資料館に案内してもらえたのです。

 帰宅すると、とても嬉しい数々のシロモノや知らせが待ち受けていました。

 


1本の線で避難地と解除地に隔てられ

未だ手つかずの惨状
富岡町や広野町などでは住民が1本の線で(避難地と解除地に)隔てられて立場を大きく変えられ、いがみ合いを生じさせている、と聞かされました。久之浜では未だ手つかずの惨状を目の当たりにしました。ポツンと残っている小さな神社が印象的でした。

未だ手つかずの惨状

ポツンと残っている小さな神社


「豚丼」

豚丼屋

浜風商店街
この日の昼食は「豚丼」でした。元は「うなぎ屋」がタレを活かし、開店したわけです。若い女性もキビキビ働いていおり、しばし放射能汚染地帯であることを忘れさせられました。その後で、浜風商店街に足を延ばしましたが、放射能の不気味さを改めて実感させられています。


マクロビアン

マクロビアン
マクロビアンを訪れるのは3度目でしたが、「国破れて山河在り」の感を抱かされ、アイトワに想いを馳せました。両者は共に家族の手で創出した緑の空間ですが、生きる手段に差異があり、緑はおのずと似て非なる一面をより露わにしていました。それが余計に私をマクロビアンに惹きつけさせるのでしょう。ひょっとすれば、宙八夫妻の余生はアイトワ型になるかもしれませんが、それだけに私はマクロビアンを後世に残せる日本であってほしい、と切望した次第です。

マクロビアン

マクロビアン


民家園

民家園
帰途、前回の感銘を新たにしたくて「民家園」を再訪。しかし、前回その「清貧」に心を打たれ、最も感銘を受けた肝心の一軒が見当たらなかったのです。そこに住まっていた家族が、同じ努力を傾ければ手が届く「清豊」を、私は長年にわたって追求(近代科学の成果を活かす工夫を)していたような心境にされた一軒です。以降私は、いっそうの努力と工夫に拍車をかけて来たように思っています。

民家園

民家園


ニンジンボク

ニンジンボク

ニンジンボク群生
2種のニンジンボクが咲き誇っていましたし。来年は3種のニンジンボク(いずれもミツバチの蜜源)が咲き誇りそうに感じました。スズメの子が親と一緒に餌取りに出始めたようで、ここかしこでチュンチュンと鳴き声を張り上げていました。インゲンマメツルムラサキは支柱を登っていましたし。ヘクソカズラやアオバナが、ピーナッツやカボチャも、花を咲かせ始めていました。まる3日の、自然の豊かを実感です。

インゲンマメ

ツルムラサキ

アオバナ

カボチャ

2カ月ほど前に腐葉土をさらえようとした折に、数々のカブトムシの幼虫を見つけており、やむなく2つ大きな容器に腐葉土を入れ、移り棲まわせました。このたび、いよいよ腐葉土をさらえなければならなくなり、1つの容器を空けて見ると、蛹(さなぎ)化した幼虫が次々と出てきたのです。そこで再び、半 分ほどの腐葉土を容器に残し、蛹を戻しておきました 。


書籍や写真

アカガシラサギの写真
数々のシロモノとは、書籍や数々のシロモノとは、書籍や写真などです。まず、三崎さんは近隣で見かけたアカガシラサギの写真を、新宮先生は本年度の『ENEKAN』を、そして気になっていた人から英文の論文集が届いていました。エコトピアを取り上げた論文集には、かつてインタビューを受けた社会人女性(東工大院生でもある)の手紙も添えられていました。などです。まず、三崎さんは近隣で見かけたアカガシラサギの写真を、新宮先生は本年度の『ENEKAN』を、そして気になっていた人から英文の論文集が届いていました。エコトピアを取り上げた論文集には、かつてインタビューを受けた社会人女性(東工大院生でもある)の手紙も添えられていました。
 

 

 

 

 

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