乖離問題
 

 

 3つの話題を取り上げました。その順は忘れましたが、「ノコギリと阪神淡路大震災の話」。「文明病」。そして「学生本人とそのいわば外野との意識のズレ」です。外野とは、本年3月9日付け当週記で触れたことですが、その親御さん、教師、あるいは学生を取り巻く社会(報道陣)などのことです。学生本人は自己責任意識に燃えていても、それは外野の想いと一致しているとは限らない、との助言してもらった問題です。

 まず、「ノコギリと阪神淡路大震災の話」。阪神淡路大震災時は、私は線香の煙が立ち込める現場に、事情があって駆けつけています。その時は芦屋までたどりついていますが、芦屋の消防団も訪れており、印象深い話を多々聞かされています。

 木造家屋の下敷きになりながら、ノコギリのおかげで、迫りくる火事の犠牲にならずに済んだ話はその1つです。挟まれていた足を、崩れ落ちた梁をノコギリで切って、引き出せたのですが、それは救い出した消防団の青年のキテンでした。ノコギリをもって崩れた家屋にもぐり込んでいたキテンです。ノコギリを体の延長でもあるかのごとく使い慣れていたのでしょう。

 「文明病」をかねてから私は問題にしてきました。スギ花粉症に始まり、貧富格差の拡大に至るさまざまな現象が考えられますが、介護施設での寝たきり老人多発も、文明病でしょう。

 人間と犬をごっちゃにするようですが、わが家ではハッピーを「寝たきり」にしかねないところ、でした。母の場合もそうでしたが、「寝たきり」にせずに済ませる手法を自己責任のもとに、実施しました。結果、それでよかったと思っています。ハッピーも思い残すことなく見送れそうです。でも、世の中には、思い残すことが多々ありそうです。

 高価な老人介護施設に入れてもらいながら、ハッピーとはまるで逆のような余生を過ごす老人が多いことです。母の場合は、老人介護施設に入れていたら、きっと寝たきり老人になっていたに違いない、と思います。妻は無理やり、歩行練習をさせて「鬼嫁」のようにののしられもしていましたが、きっと介護施設ならそこまでしないと思います。

 ハッピーを放し飼いにして、歩行力を復元させましたが、一番心配したことは事故に巻き込まれはしないか、との心配でした。マンツーマンの世話などできませんから、目を離したスキに何が起こるか知れたものではありません。いわんや人間なら、何をしでかすか分かりません。錠前だって解きかねません。そこで事故が生じたらどうなるでしょうか。

 思いやりが裏目に出かねません。事故が争いの原因になりかねません。それを思うと、疎まれながら歩行練習をさせるよりも、寝たきりを好まれたら、これ幸いに、と寝た切りにさせないではないでしょうか。それは、日本と、この問題をクローズアップして対策を打ってきたアメリカとの寝たきり老人問題を、統計的に比較分析すれば分かります。

 こうした問題を自覚し、自己責任の下に、時価完結能力を高めるようにしましょう、との想いを訴えてつもりです。居間の学生たちが壮年になるころは、今とは雲泥の差を感じるような時代になっている、と私は見ています。その次代を見通しておく必要がある、と訴えました。

 そして乖離問題。学生たちが感じている「今」Aと、その外野が学生時代に感じていた「今」@とは雲泥な差があります。問題は、この2つの「今」の乖離が生じさせかねない問題です。同様に、この学生たちが感じている「今」Aと、この学生たちの子どもが学生になるころに感じる「今」Bとの間にも雲泥の差が生じることでしょう。何を見通して、いかに手を打っておくか、難しい。

 このような難しさの苦悩をにじませたような話をしたはずです。

 それはともかく、明言できることは、「マッチ」を使えない大人に育てたり、「ナイフ」で鉛筆を削れない大人に育てたりした意識や感覚@は、意識Bから見たら、犯罪行為にも近い意識や感覚がなさせた業と見えかねなくなるのではないでしょうか。

 にもかかわらず、わが国では根本にメスを入れずに、貧富格差の拡大も許しており、フラストレイションをさまざまなところで溜めつつあるように見受けられます。そのフラストレイションが、さまざまな形で吹き出しかねない状況になっています。

 遠方であるアメリカの大統領に仲介してもらわないと、最隣国である韓国の大統領と会えないような首相を、私たちはいただき続けています。本来は逆です。

 いみじくもアメリカは初めて黒人の大統領を選んでいました。最隣国韓国は女性の大統領を選んでいました。ともに一昔前から見ると、ありえないような選択です。これらは狂っているのでしょうか、私たち日本が遅れているのでしょうか。気になります。

 
 

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