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 牛深と都城、そして義弟の死 13/04/07

 畑はすっかり春の姿になっていました。「牛深」を目指した九州旅行から帰ってみると、庭が一変していたのです。この時期の庭は刻々と姿をあらわにします。ですから、翌(3日水曜日)朝から庭に飛び出し、5日にかけて庭仕事に励みました。前回の四国で費やした7日間の旅を含めた11日分の空白を埋めたくて、寸暇を惜しみ、夏に備えました。好天をいいことに、書生にはブロアーやエンジンソーを駆使する作業に当たってもらい、水島さんには大鉢のハスを移動させて新たに設けた大きな水槽に移植する作業を手伝ってもらうなど、助力も得ました。

 この間に、いろんなことが生じました。水曜日に2つの宅急便が九州から届きました。ともに84歳の女性から届いたもので、牛深の名物や農作物と、都城の農作物や梅肉エキスなどで一杯でした。その日の夕刻には、坂本先生が予定通りに大吟醸酒を携えて訪ねてくださった。翌木曜日は、冨美男さんにサザンカの剪定をしてもらったあとで園芸店を訪れ、庭木を1本選んでいます。金曜日は、坂本先生のゼミ生が人工ギンリョウヘンを届けてくれました。その午後、メダカの水槽掃除を手掛けていると、ひょっこりと、これまでに2度もメダカをくださった人に訪ねてもらえ、午後のお茶を一緒に楽しむことができました。そうこうしていると、妻の人形のファンであり、かつて島津鉢をくださった人に訪ねてもらえ、ケンのお墓にまで足を向けてもらっています。

 九州旅行は好天に恵まれました。ありがたい留守番に恵まれたおかげで、久しぶりで妻と2人で旅を楽しみました。書生が家族を京都に招き、一家で留守番をしてもらえたのです。熊本県の牛深は「天草下島」の南端に位置する人口9000人ほどの島ですが、かつては無煙炭の海底炭鉱でにぎわっており、日露戦争の軍艦はこの無煙炭で活動しています。牛深では念願の人、川上文子さんのお母さんと会えただけでなく、お兄さんの運転で隠れキリシタンの足跡などを追うことができました。文子さんのお母さんは84歳ですが、農業に携わって自活です。

 「ここまで来ていながら」と妻が言い出したものですから、宮崎県の徳重さんに断りの電話を入れたところ、かえって迷惑をかけてしまいました。2日がかりの勉強会の最中とのことでしたが、折り返し電話があり「蔵之元港まで車で迎える」「都城にも立ち寄るように」と勧められたのです。おかげで、往路では、バスで1時間の通過地に過ぎなかったのに、蔵之元港がある「長島」の魅力にとりつかれました。というのは、徳重さんに蔵之元港まで車で迎えてもらえたおかげで長島の歴史民俗資料館の存在を知り、立ち寄ることができたからです。

 徳重文子さんも84歳で、今では計8町歩の梅林を育てる会社「紅梅園」の社長として活躍しながら、心臓を患っていながらわが国の未来をおもんばかっており、新たな計画に取り組み中です。それは、8反以上の土地にツバキの苗木を植え始めたことです。ツバキ油は、私たちの身体にとって成分的にとても優れているだけでなく、酸化しないそうです。この人は、母子家庭の身となってからクリーニング業で身を立てながら、30歳の時から紅梅の苗木を植え始めています。

 土曜日は春の嵐との予報でしたが、午前中は曇天でした。そこで、妻の助力を得てイノシシスロープの除草に精を出していると、雨が降り出しました。その後が大変でした。義妹からの電話は私が受け、数時間後に(事業を手仕舞いし始めていた)その夫が他界したのです。7か月の闘病でした。風雨が強くなっていましたが、妻にここで口をきいてはいけないと思い、温室に駆け込みました。気づいてみると数多くの植木鉢に土替えをしてやっていました。居間に戻ってみると、、妻はさめざめと鳴きながら、宅急便の手配や巻きずしつくりの準備など、あくせく立ち働いていました。「今夜一晩」、義妹は夫の亡骸を亀岡(農地も用意していた)に運んだそうです。
 


エンドウ豆の畝に支柱を立て

 

夏野菜用の畝を用意しました
水曜日に3本のエンドウ豆の畝に支柱を立て、木曜日から金曜日にかけて、長短4本の夏野菜用の畝を用意しました。今月中旬までに、冬野菜の畝を次々と夏野菜用の畝に仕立て直したり、夏野菜の種まきをして苗を育てたり、買い求めた苗を植えつけたりします。

想定外の集中豪雨に備えた治水工事がほぼ終わりました。手前の大きな集水桝には、庭に降る雨量がこれまでの3倍になるまで耐えさせようとしています。奥の大きな水槽は、かつて染工場で用いられていたプラスチック製の大きな容器を廃物利用したもので、水島さんに手伝ってもらってハスを移植しました。


牛深の名物や手作りの農作物


赤巻


ハマボウフウ

川上アリエさんから牛深の名物や手作りの農作物など数々の品が届きました。初めて口にした「赤巻」は美味。「こっぱ餅」はサツマイモを半分つき込んだ餅で、土地柄をしのびました。「ハマボウフウ」と呼ぶ山菜は、わが家の庭でも育てたくなりました。ウニは、文子さんの兄さんが捕ったもので、まだ小さい時期ですから、取り出すのにずいぶん時間を要したことでしょう。漬物や塩などは、これからの楽しみです。


手作りの農作物とか鶏卵など数々の品


ヤブツバキ
都城の徳重文子さんから、文字通りに私たちの後を追うようにして、手作りの農作物とか鶏卵など数々の品が届きました。梅肉エキスは「心臓にもよく効く」とのことで、大量に送ってもらえました。そのお礼の電話で「ツバキ油を入れ忘れた」とのこと。彼女は私より10歳年上ですが、私と同時期(54年前)から、植樹を始めていました。丁度今、わが家の庭でもツバキが花盛りで、ヤブツバキがさまざまな色合いを誇っています。大量の梅肉エキスや

坂本先生が大吟醸酒の生酒原種を携えて訪ねてくださった。かつて書生が2時間講義した大学の教授ですが、わが家に訪ねてもらえたのは2度目です。囲炉裏場は未完成ですが、囲炉裏の試し使いをしました。当日の午前中に、川上アリエさんからウニも届いていましたから、これを肴に美酒を味わった次第です。その折に話題になった人工ギンリョウヘンを、5日に先生のゼミ生が届けてくれました。

4つの鉢でひと揃えになる島津鉢の1つを、かつてくださった人にも訪ねてもらえました。当週記で「その1つを割りでもしたらどうしよう」と、日本の企業は補充という大事なサービスを欠きがち、と嘆いたことがキッカケです。その後も、島津鉢を買い求めた店はもとより、この品を扱っている店を見たことがありません。

この写真は、7日(日曜日)の朝に撮りました。朝食も玉吸いと巻きずしでした。妻は10本の巻きずしを携えて、義妹が夫の亡骸と一夜を過ごした田舎家に向かいました。その後の打ち合わせを済ませて、人形教室が始まる10時までに帰ってくるそうです。
 

 

 

 

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