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アイトワ循環図
第6次産業 09/09/06

 8月31日月曜日の朝、目が覚めると夜空が白みかけており、ツクツクボーシが「鳴き収めといわんばかり」にさえずっていました。5時半でした。腰痛が少しぶり返しており、さもなければ畑に早速飛び出し、雲南省のトウモロコシを抜き去って畝に仕立て直すか、第一陣のキュウリの跡を耕すか、あるいは緑の天蓋を作るクヌギの徒長枝を切り取りたいところだ、と思いました。

 でもあきらめました。トウモロコシを抜きとる作業は全身運動です。キュウリの跡は、豪雨対策として土を削り低くする予定の所ですからスコップを使わざるをえません。また、クヌギの徒長枝の切り取りは、高い脚立に登る作業です。いずれもが腰にとても負担をかけかねません。

 ならば、ニンニクとか奄美のラッキョウ、あるいはワケギの球根でも植えつけるか、と考えました。植えつける畝は、先週の間に妻に手伝ってもらって作ってありました。あるいは草刈りでもするか、とも考えました。豪雨対策で削り取る土の移動先は、ぼうぼう夏草が生えています。その草を刈り取ったうえで土を被せたい、と思ったわけです。起き出してみると、夏のパジャマでは肌寒く感じました。ツクツクボーシが鳴き止み、コオロギが賑やかに合唱していたことに気づかされました。その直後にコジュケイがチョットコイ、チョットコイと鳴き始めました。たった一晩家を空けただけなのに、なぜか庭がとても新鮮に感じられました。

 先週末の早朝から週初めの夜にかけて茨城県に出かけました。「楽しかったなあ」と衣服を着替えながらその2日間を振り返っていると、妻が起き出してきました。そして、「ご飯が炊けるまでに時間がありますから」といって畑に一緒に出てくれることになりました。「ならば2人でトウモロコシの跡を仕立て直そう」ということになりました。私が鍬で根を浮かし、妻が引っこ抜いたわけです。そして、その抜いたトウモロコシを私が堆肥の山に積みあげたり、トウモロコシの実をサルから守るために要した竹を整理したりしている間に、妻がスコップでトウモロコシの跡を耕しました。今週は、かくのごとく始まった1週間との気分にされています。

 その後も晴天が続きましたが、日差しは心持ちやわらぎました。おかげで、庭仕事がはかどりました。トマト、ズッキーニ、ヘチマ、ジュウロクササゲなど夏作物を始末し、その跡を冬野菜用に仕立て直しました。コカブラ、大根、紅芯大根、ホウレンソウ、自然交配のアイトワ緑菜などの種まき、ニンニク、奄美のラッキョウ、ワケギなどの球根と、ネギの苗の植え付けた上に、夏野菜の支柱に用いた竹の整理や生垣の剪定などもこなしました。

 最も力を要した作業は畝を耕すことでしたが、何年か前に天神さんで買った大きな備中鍬を駆使したわけです。スコップのように腰をひねらずに済み、腕の力で鍬を振り上げたり振り下ろしたりするだけの作業、と見たからです。ところがその後、背半がバンバンに張ってしまい、備中鍬を駆使する作業は背筋をずいぶん酷使することだと気付かされています。とはいえ、私にもまだ、これほど畝を耕す力が残っていたのだ、と気分にされたことが大きい。

 外出では、京都府が主導した「きょうと農商工連携フェア」に出かけたことと、来客では、12月に丹後で開かれるシンポジュームの関係者が20人近くもお見えになったことが印象的でした。とりわけ、前者で第6次産業化の事例報告を聴いたのがよかった。それは、規格外の低農薬野菜を生かすために、生産者がサービス業にまで手を広げて成功した事例でしたが、茨城県での見学がなぜあれほど感動的であったのか、との疑問を解いてくれました。そのいずれもが6次産業化であったわけです。食べ物では、初物の天然鮎の塩焼きと、新メニューのヘチマを生かしたグラタン風の一皿が印象的でした。週末の今も、まだツクツクボーシが鳴いています。
 

トウモロコシの畝

スコップで耕す妻
トウモロコシの畝と、その跡をスコップで耕す妻。左の小さな実に植物のたくましさを感じました。大きな実を若い間にもぎ採ったあとで育てた実(?)と思うのですが、数は少ないとはいえ次世代を育てるうえで十分役立ちそうな一人前の種子を結んでいます。

白いダチュラ(エンジェルストランペット)の芽。過日妻が草刈りをしたときに、最初に出た芽を間違って刈り取ってしまいました。その後、この芽を吹かし直しましたから、一帯の草を刈りとって日当たりを良くしたわけです。庭にはオレンジ色のダチュラが2本も立派に育っていますが、白も立派に育てたいのです。そしていつかピンクも、と思っています。

北側の隣家との境の生垣と、東側の公道との境の生垣の選定からでたクズ。手前の竹は、ゴーヤなどの棚、トマトの支柱、そしてトウモロコシの実をサルから守るために用いていた分です。これらを整理しながら、タケノコ生活を思い出しました。戦時下では燃料にも不自由し、燃料を求めて箪笥の着物を、タケノコが衣を1枚1枚はがすように母は持ち出していました。

苔庭がピンチです。日照りが続いているせいです。泉の水位が30cmほど、井戸枠水槽の水位が20cmほど下がっています。ついに臨戦体制をしきました。台所や洗面台などの側にバケツを持ち出し、米のとぎ汁など洗剤を使っていない排水を溜め、その水で地表を湿らせておくためです。それは降った雨を速やかに吸収させる工夫です。

トマトのフレームとゴーヤなどの棚を解体しました。写真上は解体後。左はこの解体時の収穫物。ジュウロクササゲはこの10倍ほど採れそうでしたが、ごく若いのだけ選びました。ヘチマは他に、本来の用途に供する実が8本もありました。

ネギ苗を植えたときに出たクズ。干してあったネギを、根元から10cmほどのところで切り、根のある方を植えつけますが、上の捨てる部分を掃除したものです。久しぶりにネバネバ四君子に代えてネギを刻み込んだ納豆を味わいました。食べながらタマネギ生活を思い出しました。戦時下の母は、食料を求めて1枚1枚衣をはがすような生活に追い詰められましたが、そのたびに涙をにじませていました。

鮎の塩焼き(左)とヘチマを主要食材とした新メニュー。前者は、ご近所の狩猟名人が川にもぐって針に引っ掛けて捕ったものです。鮎の習性、川の水質変化、焼き方などを学びました。これらの頭などは3匹の愛犬に分け与えました。後者は、ヘチマの他に、万願寺トウガラシ、エリンギ、ハム、角切りのフランスパンを用いて、チーズでグラタン風に仕上げてありました。

 

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