アイトワのホームページ
アイトワ循環図
ジェニーを迎えた  08/07/13

 日曜日の夕刻、ジェニファーが到着しました。彼女はジュネーブを1人で発ち、成田で義母に迎えられ、義母に案内されてわが家に直行でした。妻はこの義母の東京での再婚披露宴に招かれており、ジェニファーの父親と会っています。姿形は父親似のようですが、股上の浅いジーンズ姿で、ハイヒールを履き、真っ赤なマニキュアを塗っていました。黄色いニットシャツに、赤色と黄色の大粒のネックレスを2つ首からぶらさげ、重そうなスーツケースをはじめ多くの荷を運んできました。家族は彼女をジェニーと呼んでいるようです。

 この母娘を私は汗みどろ姿で迎えました。庭仕事の最中に迎えたのです。ですから、私の姿から、一瞬にしてわが家の生活を理解できたに違いありません。わが家で過ごす2週間をいかに楽しめばよいのか、その夢や覚悟を見定めたことでしょう。ジェニー1人に母屋を明け渡し、いつでもシャワーや洗濯機を使えるようにしました。かくジェニーを迎えたわけです

 月曜日も暑い1日でした。ジェニーは早速人形工房で妻の指導下に入りました。私は、前日の温室掃除でクタクタでしたが、ハッピーの小屋の補修から手を付けました。その最中に長沢さんから、アイトワにホームステイ中のドイツ人女子大生を案内したい、と電話がありました。早速午後1番にジェニーも交えて迎え、お茶を共にし、庭案内をしました。ジェニーは一緒に庭を巡りませんでしたが、ドイツ人女子大生は庭巡りを大喜びでした。そのわけはすぐに分かりました。父親は緑の党の議員とかで、母親は自宅の庭で薬草造りに精を出しているそうです。長沢さんたち4人を見送った後、私はコンフリーの株を掘りだした跡を畝に仕立て直しました。

 火曜日の朝は雷鳴で飛び起きました。5時半のことでした。急ぎ足で風除室に行き、ガラス戸を閉めました。風除室は温室仕様ですから庇がなく、網戸のままでは雨が吹き込みます。ガラス戸を閉めながら、雨が降って「よかった」と思いました。前夜、やすむまえに「一雨欲しい」と妻と語り合っていたからです。すぐに雨は上がりましたが、少しは涼しくなりました。

 それにしても、忙しい1週間でした。キヌガサタケが火曜日の朝にも出ましたから、知友の1人と1年前に交わした約束を果たし、感動されました。水曜日の夜から、ラジオの生番組に出るために妻と東京に出かけました。この留守中のジェニーの面倒は、2人のアイトワ塾仲間に見てもらいました。金曜日は、朝の7時からテレビの撮影チームを迎え、1時過ぎまでつき合い、その夕刻からジェニーを連れて深川和美さんのリサイタルに出かけました。私たち夫婦は深川和美さんのファンで、彼女は暮れのしめ縄造りに2年続けて参加しています。

 この間に、思いがけない2冊の献本に感激したり、大学での講義に出かけたり、ジェニーにレクチャーしたくて、パワーポイントのCD造りに半ば徹夜をしたりしています。2人のアイトワ塾仲間にジェニーの面倒を見てもらうことになりましたが、その意義をジェニーと通訳に深く理解してもらいたかったのです。通訳には、この2人のアイトワ塾仲間の片方の娘が当たってくれました。このお嬢さんにも父親の想いを理解してもらう上で有効であるように、と願いました。

 ジェニーはとても純情でよい娘です。ただし、流行のとりこにされよい一面がありそうです。ですから、その対極にあるアイトワに、妻の知友は義理の娘を預けたのかもしれません。その期待に背かないように、いかにジェニーを導けばよいのか思案しています。ジェニーは実の母と生活をともにしているそうですが、考え方や価値観は母親譲りのようだ、と見ました。

 土曜日、ジェニーは義母の知り合い筋の案内で終日外出。私は夕刻から伊藤忠時代の仲間との飲み会です。火曜日の雷雨の後、雨らしい雨がありません。この調子だと水不足の夏になりです。

 
補修したハッピーの家。ハッピーはジェニーの滞在中は夏の別荘に引っ越しです。夏の別荘は旧玄関(北向きだった)の脇にある窪みです。この引っ越し中に、屋根を葺き替え、塗装をし直すことにしたわけです。この補修で、ハッピーはもとより私が生きている間に飼う犬は、いずれもが既存の犬小屋で過ごせることになったはずです。

コンフリーを抜き去って、畝に仕立て直しました。コンフリーは生かし方が分かっていませんし、日の良く当たる場所を与えておくのがもったいなくなったのです。コンフリーはすでに3ケ所に株分けして育てていますから、このたび掘りだした株は堆肥の山に積みました。写真の左上に、ユリネを採るユリの花が咲いています。

今年出たもっとも見事なキヌガサタケ。昨年、最後の1本を見逃した友に、なんとか見てもらうことが出来ました。ビジネスマンの英才であったこの友は、今年も1度無駄足を踏み、通算すれば数度の空足を踏んだ末の実物との出会いでした。それだけに、その感動ぶりを知った私は胸が熱くなりました。この感受性が、ビジネスの世界で彼を上り詰める立場にまで導いたのでしょう。

また温室に、その後たくさん鉢を持ち込みました。初夏のテラスを飾った植木鉢です。週初めの温室掃除では、鉢植えに使った土を篩にかけ、肥料を配合して再生土を作り、その再生土を用いて花の苗をいつでも植え付けられるようにした鉢を幾つも用意しています。思えば、1年を通してこうした作業を10回ほど繰り返し、のべ300ほどの鉢植え植物をテラスなどにデビューさせてきたわけです。

火曜日の庭仕事の一部。4つの大鉢と5つのランの鉢に植え付けたホウセンカとテンモクジオウ。京唐菜の畝に、コンフリーの葉をマルチング材として被せ始めたのがこの作業のきっかけでした。京唐菜の畝でホウセンカが自然に芽生えて、大きく育っていたのです。コイモの畝で育っていたホウセンカも用いました。

予期していなかった献本。『イチボウ継永史』は、更正会社になった紡績会社を建て直した記録ですが、私の助言を「物づくりの基本理念」に反映させたことを収録してもらえていました。他方は、19名を対象とした再チャレンジ支援教育プログラムの収録です。こんなに精緻な報告書が作られるとは思っていませんでした。私の評価やレクチャーの様子も収録されていました。

テレビの撮影風景。妻と私を題材にそれぞれ1分に編集されますが、撮影には5時間を要しました。私も、3分とかの短いスピーチを頼まれるときは、数日間の猶予が欲しくなる方です。ですから、とても楽しく応じることができました。1時間のスピーチなら、即座にたのまれても、そんなにあわてません。なんとでもかごまかせます。

inserted by FC2 system