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日本の風土と体質  07/11/04

 画期的な1週間になりました。日曜日はアイトワ塾の仲間と日帰りで舞鶴を訪ね、月曜日は異色の経営者との夕食でしたが、その間にほぼあきらめていたホダ木からシイタケが出ていたのです。火曜日、アイトワの定休日は、年に一度のマンホール掃除に生かし、水曜日は高名な造園家と湯豆腐の会の幹事を迎え、次会の下打ち合わせをしました。その間に庭で6種類ものキノコを見つけており、木曜日に半日かけてスケッチをし、「これは」と感じたキノコを食しました。なんとも美味。庭で自生する名も知らぬキノコを初めて食べたわけです。

 舞鶴行きの目的は「舞鶴引揚記念館」の再訪です。途中で美山の宮島村に立ち寄り、名水で喉を潤し、茅葺き美術館を訪ねています。美山には、名水をミネラルウォーターとして出荷する第3セクターの会社がありました。また、「茅葺き家屋は生きている」と実感したり美山町の広さを体感したりしています。それもこれも、8月末の自治体学会の折に立ち寄った舞鶴引揚記念館で、「舞鶴・引揚語りの会」の人から伺った話がきっかけです。旧日本は村単位で農民を満州に移住させていますが、この国策に従わなかった村長がいたことなど興味津々の話を聴いたのです。

 この話をしてくださったご当人は法事で不在、代わって理事長に対応していただき、「舞鶴ふるるファーム」での昼食までご一緒願い、歓談しました。理事長はソ連に抑留された旧日本兵のありようだけでなく敗戦後の開拓団の辛苦にも詳しい人でした。特別展示のコーナーでは、1953年に引揚活動を再開し、シベリア抑留兵を運んだ「興安丸」を取り上げていました。今頃は、開拓団など満州で辛酸をなめた一般人をとりあげた企画展に切り替わっているはずです。これまでの不明を恥じたり反省させられたりすることが多い小旅行になりました。

 月曜日の夕食は、まずキハダの木灰や新しいホダ木で初収穫したシイタケを手みやげにお宅に訪ねることから始まりました。その菜園では野草とのつきあい方を指南し、ミツバなど自生する野菜の苗やサンショの苗木を進呈する約束をしました。その上で割烹に出かけたのですが、幸いなことに客は私たちだけでした。おかげで大笑いをしながら好き勝手な会話を楽しんでいます。考え方だけでなく、他にも似たところがありそうな2人だ、と2人の妻は語らっていました。

 造園家との打ち合わせは、次の湯豆腐の会でスピーカーになって頂く下打ち合わせでしたが、空間軸と時間軸の両方から庭のありようを学ぶことができそうです。元来の庭は苗木や資材を地元で調達し、人力と道具を頼りに造りあげたようですが、秀吉が強権力を行使したあたりから庭造りのありようが歪められたのでしょう。今や重機械とかダンプカーまで駆使し、意外性まで愛でるような庭が増えており、環境破壊の原因となる庭が多々見かけられます。

 嘆かわしく感じる事もありました。火曜日の午後はお茶の時間を居間で過ごしましたが、テレビで国会中継を見てしまい、給油問題で「案の定」と思わせられています。その夕刻、また少しシホウチクが取れましたが、妻の目を盗んで風呂を焚きながら皮剥きをしました。翌水曜日は夕刻に大阪に出たのですが、それは 野暮用で、とりわけ嘆かわしく感じています。

 もちろん庭仕事にも力を入れました。2度目のナスビの跡を仕立て直し、人参の畝に自然生えした菜花の苗を移植したり、オクラの畝を仕立て直して義妹がくれた春菊の苗を植えつけたりしています。また、ホウレンソウの畝に生えた野草を抜きながら、ホウレンソウの種をコオロギに食べられてまだらになったところにうまくルッコラが育っているのを見て満足しています。

 土曜日は岐阜に出かけ、ある保育園の40周年記念式典に出て万歳三唱の役割を仰せつかっています。この園の保育のあり方が、早く当たり前の日本になることを願い、役目を務めました。

ずいぶんシイタケが出るのが遅れました。だから失敗したのだろうと半ばあきらめ、過日切り倒したクヌギは駒切りにせずにおいていました。ホダ木にするためです。そうした心配をよそに、2日続きの雨がにょきにょきとシイタケをふかせたのです。
排水を分別しているわが家の庭にはマンホールがたくさんあります。そのうちの喫茶店にかかわる12カ所のマンホールを観光客が増え始めるこの時期に点検します。忍び込んだ木の根を取り去り、詰まる危険性を除くためです。このたびもこれだけの木の根が忍び込んでいました。
名も知らぬキノコを初めて食べました。動物としての勘を取り戻させるような助言を街のキノコ博士からいただき、「食べられる」「食べたい」との気分にされ、これで腹をくだすようなら「動物として失格」いわんや勇気や決断力が求められる生き物としての「人間失格」と考え、ソテーにしてもらいました。

 

日本には大根で飢えをしのぐ子どもを散見する時代がありました。私もその1人でした。久しぶりで、その光景を「舞鶴引揚記念館」の写真でしのびました。
興安丸。桟橋との間は、水深が浅いためにはしけで繋いだようです。興安丸の以前に、もっと辛酸だけでなく、心までずたずたにされた人たちを大勢引き揚げさせた船があったわけです。
ホウレンソウの畝のまだら部分にルッコラの種を大量に播きました。コオロギが食べきれないほど播いてルッコラを芽生えさせ、ホウレンソウと成長を競わせるためです。ホウレンソウの成長に会わせて順次ルッコラを間引き、サラダやおひたしに生かしながら、ホウレンソウの成長を促します。
この知人は岐阜のシュタイナー教育実践研究会を運営しています。引きこもりが生じているのは日本だけのことで、100万人とも150万人ともいわれていますが、彼は日本の教育に問題を見いだしています。私は加えて、旧日本の体質や風土を政治体制に引き継ぎながら、消費社会を実現したミスマッチにもその原因を見いだしています。
 

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