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エミールを思い出す 06/02/05

 丹後の宮津には雪が残っており、地球デザインスクールの菜園は雪に埋まっていました。今回は学生や若いサラリーマンとか団塊の世代の主婦まで集い、会場が少し手狭に感じられました。テーマにあった自給自足という言葉が引きつけたのでしょうか。私は、自然の摂理にのっとった自活論を展開しました。自給自足率を高めるために、わが家では自然の摂理にのっとった努力を重ね、植樹や落葉かきが、樋掃除やガラス磨きが、土や虫に触れ合うことが、あるいはなるべく小さな車を選ぶことがなど、いろんな自助努力が必要でしたが、それらを誇りにしてきました。その秘訣は、最高の報酬を求めたおかげだろうと思います。つまり、消費の喜びを犠牲にして生産活動に携わるのではなく、創造の喜びを最高の報酬だと思って取り組んできたわけです。

 「衣食足りて礼節を知る」という言葉を彷彿とさせるような自給自足の道があるはずですが、敗戦後の日本は逆に、サバイバル的な生き方から再出発しながら、ジャン・ジャック・ルッソーが『エミール』で警告した悪しき豊かさ、消費の喜びを追い求めたように思われます。ルッソーは、子どもを不幸にする一番確実な方法は、欲しがるものを何でも手に入るようにしてやることだと書き残しました。そうした豊かさを日本はむさぼり、自らを窮地に追い込んだようです。だから私は、地球上のすべての人が真似たら、次第に環境問題を解消にしながら豊かになる自給自足、相互扶助を基盤とした創造的な自活力の向上策があるはずだ、と訴えました。

 翌朝、暖房がない煎餅布団から起きだした参加者が、明るい挨拶を交わしていました。切れるような冷たい水で顔を洗いながら、前夜の遅くまで交わした酒盃と談論風発を思い出しました。まず、2日目の自由発言の折に「子育てには失敗しましたが、孫の世代を育成することで責任をはたしたい」との決意のような発言もあり、なぜかとても心を打たれました。早朝にたどり着いたもう1人の講師も、地球人口の5分の1を占めるに過ぎない工業国が、過半の資源を消費している点を強調した上で、独自に開発された農業論を展開されました。私は良い仲間に恵まれていることを実感しながら、爽快な土日を過ごすことができました。

 先週末の来客も思い出しました。嬉しい知らせを届けてもらったのです。新しい保育園の建設が計画通りに進んでいるので、春の開園式に参加してほしい、との依頼でした。自然が子どもの生育に果たす役割を体験的に語ってもらえないか、との要請と受け止めました。その役割なら、私の場合はエコライフガーデンの創出を事例に、5歳の時にさかのぼって語れます。成人してから、私は数々のピンチに見舞われましたが、いつも子どもの頃に身に付けた自然の摂理にのっとった判断を下し、難を逃れてきました。それがいつも良い結果に導いてくれたように思います。

 テレビ取材の話も思い出しました。「炭酸ガスの排出を抑える生活」をテーマにした番組を計画しているが、その事例紹介の候補になってほしいとの依頼でした。しかし、事情があって躊躇していたのです。思えば、次回の地球デザインスクールでのテーマは「自然エネルギー論」ですし、わが家では自然エネルギーを生かすことで快適な生活を手に入れようと工夫してきたわけです。だから、少々の無理をしても取材に応えたい、との思いを高めています。

 この一週間もバタバタすることが続きましたが、うれしいことの連続でした。初めてウコンを加味したアイトワ流沐浴剤が出来上がりました。願ってもない講演依頼もありました。自然の力を尊重する経営で知られる会社からの依頼です。京都の地名について、気になっていたことを幾つか知りうる機会にも恵まれました。サバのヘシコや一塩の太刀魚を初めて賞味しました。学生のレポートをしんみりと読んで、採点もしています。薪を6束作りました。

地球デザインスクーには雪が残っていました。木造の廃校跡を生かし、薪ストーブもあるからでしょうか、なぜか心温かく迎えてくれます。でも室内はわが家と同様に寒く、雑魚寝をする広間(教室跡に畳を敷いた部屋)では暖房なしで寝ますから、同道した友は寒くてやすめなかったと訴えていました。

坂道は雪でぬかるんでいました。天橋立も見下ろせるところで建設が進む宿泊施設などを見学しました。私は、実験農場など次の生き方を模索する上で必要となる空間を頭に描いたり、その候補地を探したりしながら歩きましたから寒さなど少しも感じませんでした。
帰途、伊根にある創業250年の造り酒屋に立ち寄りました。女性の杜氏(とうじ)が造った生酛仕込(きもとしこみ)という最も古い醸造方法の酒も試飲しました。力強い酒でしたが、品切れでした。3月には次のが出来上がっているとか。

マンボウに初めて触ってみました。帰途の昼食は伊根の町民祭の会場でとりましたが、舟屋が並ぶ良港ですから、さまざまな魚が飾られていました。美味しいソバも楽しめる地域です。
サバの「ヘシコ」(手前)と、それを塩抜きして酒の肴にしたものを土産に買い求めました。奥は、地元の女性が下さった土産で、「丹後 しお太刀」と表示されています。この女性は、地球デザインスクールでの夕食やお弁当作りの指導の名人ですが、このたびは私の「自給自足論」に耳を傾けてもらえました。

ウコンの根の先についたイモのなぞが解けました。植物に詳しい友が図つきの資料までそえて教えてくれました。沖縄の農業試験場の人がご存知であったとか。それは「木子(きご)」と呼ばれており、ラクダのコブのような働きをするようです。水分の貯蔵タンクの役割を果たすもので、旱魃などのストレスが続くと多くつけるそうです。

節分の夜は、巻き寿司に加えてヘシコ寿司も作ってもらいました。塩抜きしたヘシコを、妻はさらに甘酢で味をやわらげていました。ヘシコはヌカと塩を生かした保存食ですが、塩抜きした液は、かつては牛のご馳走として餌に混ぜていたことでしょう。

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