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水に恵まれない人の知恵 05/08/22

 歳のせいでしょうか、アフリカから帰ってからまだ庭仕事をしていません。カイロ空港では3時間と聞いたディレイが7時間に及び、空港で10時間も待ちながら、さらに14時間も飛行機の座席に閉じ込められて帰ってきたものですから、少しくたびれたのでしょうか。週の半ばと週末の2度にわたって遠方で気の張る講演を引き受けていましたから大事も取りました。とはいえ、元気ならジッとしておれず、少なくとも水やりのために温室ぐらいには出ていたはずです。

 水といえば、水質の悪い真夏のエジプトで水について考えさせられました。胃腸が弱い私は、過去2回のエジプト旅行で共に下痢をしています。最初の旅は新婚旅行ができなかった埋め合わせの旅でしたが、強烈な下痢にみまわれ、半時間おきにザーッと水のような下痢が30時間も続く体験をしています。2回目は顧問をしていた会社の植樹活動に誘われたのですが、気を付けていたのに下痢をしました。今回は無事であっただけでなく、下町に踏み込んだおかげで、水に恵まれない人々ゆえの知恵に触れることができました。本来は、下町では水など持ち歩く要はないのです。

 前回の週記で1葉の写真を示しましたが、下町では道行く人のために大昔から自由に飲める水を随所で用意していたのです。その水は持ち歩いていたペットボトルの水とちがって冷たく感じました。この大昔からあったシステムに私は安全保障の原点や、基本的人権を保証する基本を見た思いがしました。周辺ではロバが活躍していましたし、放し飼いの山羊やアヒルも見かけました。家畜は道端に溜まった雨水などを飲み、人間が出す生ゴミも食べ、人間に乳や卵を提供しながらやがては食肉となっていたようです。まだ水に有毒物質は溶け込んでいないのでしょう。

 近年の日本は、国民をライフラインと称する水道に頼らざるをえない生活に追いやりながら、本来は飲用に供することができた小川を下水にさせ、井戸水にまで有毒の化学物質などを溶け込ませてきました。要は、どこででも自然水を飲めた国土であったのに、国民が個別に有償の飲料水を持ち歩くまでの国家にしてきたのです。そこに水に対する無知を感じるだけでなく、太平洋戦争にまで想いを馳せてしまいました。もし私が徴兵される年頃で、南方戦線にでも派兵されていたら、下痢が原因で戦わずしてすぐに死んでいたことでしょう。そうした無駄死にまで名誉の戦死にするために、靖国神社は必要だったのではないでしょうか。

 カイロ空港でこんなことがありました。乗客の約5割が韓国のキリスト教徒の団体で、約4割が日本の団体でした。3時間のディレイと分かった時点で空港外のホテルに案内され、食事を与えられましたが、その後1時間ばかり経過した時のことでした。大声でしゃべっていた日本人男性に韓国人女性が近づき、「抗議をしませんか」と提案しました。その男性は、「皆さんの賛美歌を聞き、心が落ち着きました」といって断りました。その直後に、7時間の遅れになることが知らされ、私はトイレに行きました。帰ってみると待合室が空いており、「日本人はファ-ストクラスの待合室に行きました」と韓国人に教えられました。私は後を追わず、残りましたが、韓国人は誰一人として「私たちも」と添乗員に交渉させたりせず、ジッと待っていました。

 今週は、全国展開している企業活動のリフレッシュを試みる研修で東京に、全国組織の文化活動をリフレッシュすることにした団体の勉強会で松江に、泊りがけで出かけました。その前後に、かつて少し助言をしたことがある若い夫婦がカステラを、長野の友が生そばを、送ってくれたり、2年ほど前の菜園家族の集いで知り合った若い女性が手紙を届けてくれたりしました。おかげで身や心をリフレッシュしてスピーチに望めました。未来はこれまでの延長線上にない。意識の転換が必要なことと、転換すべき方向を明らかにしたつもりです。

 

 



帰路の飛行機は随分遅れましたが、お盆の棚経に間に合わせて帰れました。鉢植えのリンゴの木に初めてできた青リンゴを、妻は仏前に供えていました。

自給自足を目指す生活に踏み出している若い女性の現状報告です。2年前の5月に出会い、その後わが家を訪ねてもらったことがありますが、めぐり合った同好の士とうまくやっているようで、子山羊も飼い始めたとか。近くアイトワを再訪してもらえそうです。

エチオピアのアジスアベバ国立博物館では、発見された状態でスージーの骨(レプリカ)が展示されていました。320万年前の女性ですが、今日のすべての人の祖先をさかのぼれば、彼女に行き当たるのだそうです。自然は二つとして同じものを創りませんから、私たちは多様性を愛でることができるのです。
エジプトの下町では、道行く人に飲料水を提供する伝統が受け継がれています。古くは、底のとがった素焼きの壷に水を入れていたとか。水圧がかかる底の方から水がにじみ出し、気化するときに熱を奪い、甕の水を冷たく感じさせるわけです。水が減ると加える篤志家はいますが、いたずらをする人など考えられないようです。ご興味がおありの方は写真をクリックしてください。
安ホテルのトイレです。手で栓を操作するウォッシュレットでした。過去2回の旅行と異なり、地元の人が泊まるホテルに泊まりました。これまでの高価な米国式ホテルではドロボウなどが心配でしたが、安ホテルに泊まったり下町をうろついたりしている限り、そうした心配は無用でした。テロの心配も無用の世界と感じました。

ハラレの城郭都市の中には、ハイレセラシエ(皇帝)などよりすっと以前の王さんが住んでいたといわれる家屋もありました。本来の指導者は、自国の民から己を守る必要などない治世をしていたことが手に取るように分かりました。

庭では今、ヤマボウシの実が熟れて次々と落ちています。甘いクリームのような果肉と小さな種が中に入っています。小ぶりの実には1つですが、大きな実になるにしたがって2つ、3つと入っている種の数が増えます。まだ4つ入った実には出会っていません。

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