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グルシャを知っていますか 05/08/15

 しばらく家を空けていた間に、嬉しいことや悲しいことが生じていました。週始めに4頭目の天蚕が死んでいました。でも、ゴーヤの棚が期待通りに役立ち、2度目のズッキーニとインゲンマメが収穫期を迎え、ヤマボウシの実が熟れ、夜香木が咲き、2キロのブルーベリーがジャムになっていました。実は2週間ほど家を空け、交信に苦労する旅に出ていたのです。人類発祥の地・エチオピアと文明発祥地の一つエジプトです。ある学会の予備探検で歩きに歩いてきました。

 やっとツタンカーメンの墳墓についてその全容を知りえたような気がしました。30年ほど前に妻と訪れたときにその墳墓に入り、このたびの3回目の旅でファラオ村を訪ねて出土状況を知り、通算すると3度見たことになるカイロ博物館での膨大な出土品を考え合わせ、その気になったわけです。今回は博物館見学では1日を割いたのに、もう一度見たかったものに出会えませんでした。数ある出土品の中で、私が、妻もそうだと思うのですが、一番心を惹かれた出土品です。それは若きツタンカーメンの死を悼んで、幼き妻が手向けたといわれる3000余年前の花束です。

 オールドカイロにも1日を当て、原始キリスト教や古代エジプト人の生活をしのんだり、バスで往復した2泊3日のアレキサンドリアの旅ではクレオパトで知られるプトレマイオス王朝の栄枯盛衰に思いを馳せたりしました。原始キリスト教やその後のイスラム教という当時の新興宗教やギリシャとかローマという当時の新興国から受けた影響を興味深く眺たわけです。

 83部族が住むエチオピアでは、私たち人類共通の祖先といわれるルーシーの骨(複製品)をアジスアベバの博物館で見たり、最大多数を占めるオローモ族の村を訪ねて郊外に出かけたりしただけでなく、ある人のお世話になって800年来生き残ってきた城郭都市ハラルまで足を延ばし、ハイレセラシエ(皇帝)やその父親とかアルチュール・ランボーが住んでいた家を訪ねたりしました。現地のアジスアベバの日本大使館では、テロがあったカイロと、道中で民族紛争が生じているハラルには館員の出張を禁じていましたが、おかげで外国人が少なく、ゆったりとした気分になれました。

 サラリーマン時代に私は数え切れないほど海外を訪れていますが、それは玄関と客間を見たりさまざまな国の上澄みを掠め取ったりするようなものだったと反省しています。だから、この20年は、外国人があまり踏み込まないようなところにまで踏み込むように心掛け、その国を支えている真の力やその源泉を計り知ろうとしています。だから博物館の見方も大きく変わりました。創出された成果ではなく、創出したエネルギーや道具などの方に興味を示しています。

 エチオピアでは常食のインジェラとかさまざまなコーヒーに、エジプトではカバブハーラなどの煮込み料理やアエーシというパンの一種に舌鼓を打ちながら、ドロワットの様子を伺ったりグルシャの習慣を目の当たりにしたりしてきました。ドロワットとはイスラム教徒の宗教儀式の1つです。イースター前の1ヵ月は肉類はもとより牛乳やチョコレートも、2日前からは水も絶ち、当日は夜中の3時から一家が白装束で鶏を絞め殺すところから始め、感謝しながら食します。グルシャとは、手でつまんで食事をするエチオピアで、つまんだ食べ物を他の人の口に入れてあげる習慣です。下町の食堂でグルシャをするカップルを見て、急に帰国したくなっています。

 たった2週間ほど家を空けただけですが庭はすっかり変わっていました。鳴く虫の声も咲く花も変わっていたわけです。畑の様子や樹木も変わっていました。ちっとも変わっていないように見えたのは犬たちと人間が作り出した家屋や什器や舗装道路などでした。こうした人間が作ったモノ、多くが既製の規格品や品種改良したペットに囲まれ、鶏が殺される光景さえ見ずにカシワを食べる生活にナチュラルハラスメントを感じ、妻に当たってしまいました。

 





ゴーヤの収穫が始まっていました。初めて試みた棚に妻は大喜び。来年はもっと大きな棚を造り、その下で昼寝でもしてもらおうかな。帰国した日の夕食はゴーヤチャンプルがメインディッシュでした。これからのわが家は、ゴーヤ、モロヘイヤ、ツルムラサキ、伏見トウガラシに加え、2度目のインゲンマメやキュウリ、そして新顔の京唐菜とズッキーニが食卓を彩ります。

ファラオ村ではツタンカーメンの墳墓を発見状態で再現していました。この墳墓のどこで、18年来わが家で育ててきたエンドウマメが発見されたのか、そこまでは手が回っていませんでした。私がエジプトの観光大臣をさせられていたら、古代農業の真似事をして見せるのではなく、古代農法で実際に豆も育て、その豆料理を付設レストランのメニューに加えさせたりしていたことでしょう。この墳墓にご興味をお持ちの方は写真をクリックしてください。

オールドカイロに割いた日に見た水道橋です。ローマ人に習ってエジプト人が作り直したものだそうです。これが一種のライフラインとなり、人間を籠の鳥のようにしたり、その機能が低下したりして、都市も人間も衰退に向かわせたのかもしれません。この日に見た光景や触れた人たちにご興味をお持ちの方は写真をクリックしてください。
エチオピアでお世話になった人が、ハイレセラシエ皇帝と一緒に収まった写真です。初代観光大臣を務めたそうですが、35歳だった大阪万博時にはエチオピア館を訪れた昭和天皇を案内しています。招いてもらった自宅でそうした写真を拝見したあと、ミスアフリカとして近年来日したことがある女性の運転でレストランに案内してもらいました。
エチオピアでは最大部族のオローモ族が貧しい境地に追いやられる背景やその生活にも興味を抱いてきました。郊外に足を延ばして訪ねた彼らの生活の一端にご興味をお持ちの方は写真をクリックしてください。

詩人として有名なランボーがハラレの旧市街で住んでいた館です。先鋭的な詩人としての頭とペンを動かす腕にだけではなく、商人としても頭を役立て、体を過酷な環境にさらしたところに私は惹かれています。ランボーが最上階の窓から見た光景などにご興味をお持ちの方は写真をクリックしてください。

農村だけでなく、下町の探検にも時間を割きました。本当に国を支えている人たちに触れると、なぜか安堵感に浸れますし、生きる自信がわいてきます。家族経営の町工場では、衝突で潰れただけでなく炎上した廃車まで、ハンマーとか鑢(やすり)などの道具で再生していました。そうした下町ににご興味をお持ちの方は写真をクリックしてください。

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